とある本を読みました。
それは “ツレがウツになりまして” の著書で有名な細川貂々さんが書いた本です。
その本のサブタイトルには「生きづらい人のためのブッダのおしえ」と記されています。
著者の貂々さんは、「非定型発達で、発達障害の特性を持っているけれど社会に適応できてる人(いわゆるグレーゾーン)」だと告白しています。
その貂々さんが、宗教学者の釈徹宗さんから勧められ、維摩経の本を読みこの話を本にしたいと書いたのが “維摩さまに聞いてみた” とう本です。
実は私もずっと生きづらさを抱えています。
子どもの頃から人と関わることが苦手だったり、これからの生き方に不安を持ったり、戻らない過去のことをネチネチと後悔したり…。
何か生きるヒントを得られないかとこの本を読んでみました。
内容は、お経の一つである ‘維摩経’ の解説のような内容になっていて
お釈迦さまの在家の弟子である維摩が病になり床に伏せてしまいました。 それを知ったお釈迦様は、優秀な弟子たちにお見舞いに行くようにすすめますが、次々に断られます。 なぜお見舞いに行きたくないのか。 それは弟子たちは、それぞれ維摩にやり込められている経験があるからなのです。 そんな中、文殊菩薩が代表してお見舞いに行くことに…
というストーリーで、貂々さんのイラストが「空」という難しい重い話を、軽く・わかりやすく内容になっている一冊です。
そしてもっと維摩経のことを知りたいと、宗教学者・釈徹宗さんの本を読みました。
それが “なりきる すてる ととのえる” とういう一冊です。
貂々さんの本で呼んだおかげで、内容がすっと頭に入ってきました。
あなたが毎日日曜日に『街をキレイにしよう』とゴミ拾いのボランティアを始めたとしよう。代償を求めて始めたわけでも、誰に褒められようとして始めたわけでもない。純粋に“自分が気持ちがいいから”という思いから始めました。…(中略) でも一歩間違えると無神経にゴミを捨てる人を許せない人間になってしまいます。そういう人を心から軽蔑し、ゴミを捨てている行為に対してはげしい怒りを感じるかもしれません。もしそうなれば、あなたは『街をきれいにする人』と『街を汚す人』との二項対立で組み立てられた人格になってしまうんですよ。ここがワナなんですね
なりきるすてるととのえる より
思い当たる節がありました。
誰にでもあるのではないでしょうか?
例えば、新型コロナが流行し、感染しない、させないためにもマスクをしましょう。と…
マスクをして感染予防している人から見たら、マスクをしてない人を見て、何も思わない人はいないのではないでしょうか?
マスクをしてない人に注意をする人はまさに、この二項対立で組み立てられているのでしょう。
人が陥りがちな二項対立の考えに振り回されない、自分の都合で物事を見てしまう危うさを教えてくれているような気がしました。
著者が書く[超訳]がわかりやすく、ますます維摩経に興味が湧き、奈良市・興福寺に維摩さまの像があると知り一度、実物を見てみたいと向かうことにしました。

場所は、大仏がある東大寺や、春日大社が近くにある奈良公園の近く。
興福寺は、藤原氏の氏寺として和銅3年(710年)の平城遷都とともに創建され、五重塔(国宝)・三重塔(国宝)・東金堂(国宝)・南円堂(重要文化財)・北円堂(国宝)などの建築物と、今回の目的である、維摩居士坐像・文殊菩薩坐像、そして阿修羅立像(ともに国宝)と貴重な国宝だらけのお寺です。
東金堂・国宝館共通券
大人・大学生 | 900円 |
高・中学生 | 700円 |
小学生 | 350円 |
国宝館のみ拝観料
大人・大学生 | 高・中学生 | 小学生 | |
個人 | 500円 | 300円 | 100円 |
団体30名以上 | 400円 | 200円 | 90円 |
身障者 | 250円 | 150円 | 50円 |
維摩居士坐像は東金堂にあるので、ぜひ共通券でご覧になって頂きたいと思います。

東金堂には、維摩居士座像・文殊菩薩坐像の他にも、十二神将立像(国宝)四天王立像(国宝)や共に重要文化財の日光・月光菩薩立像、薬師如来坐像とそうそうたる国宝がずらりと並んでいて、建物が国宝なら中にある仏像も国宝という、彦摩呂さんならきっとこういうはず「国宝の宝石箱やー」と?
実物の維摩居士坐像を見ると、口を半開きにし、今でも何か言いたげな維摩さまが座っています。
険しい維摩居士の表情とは反対に、お見舞いに行ったとされる文殊菩薩坐像は表情穏やかです。
どちらの坐像も仏師・定慶 が作ったと思われます。
思われるというのは、定慶という名のは文献上には現れず、僧綱位にもついた形跡はなく、その活動が興福寺内に限定されていることから、興福寺専属の仏師だったと想像されます。(Wikipediaより)

私が今まで見た仏像はどれも、穏やかな表情で見ていてこちらまで癒されるような仏像が多い中、それに比べて、一癖も二癖もある維摩居士座像を見て、人間味のあふれる坐像に親近感を覚えると同時に、「こんな弁舌のたつ人が、自分のそばに居たら面倒だろうな」とちょっとだけ思いながら東金堂を後にしました。
この二冊の本を読んでから実像を見たことで、とても充実した拝観になりました。
同じ「見る」でも、『知識があって見る』と『知らないで見る』とはだいぶ違うものに見えてきますね。
国宝館では、仏像界のイケメン?で有名な阿修羅像を見られ、映画「鎌倉ものがたり」のモデルにもなったであろう「天燈鬼立像」 も、観られまたもやテンションが上がった興福寺観光でした。(映画では「天頭鬼」)
予習をしてないと、予想外に出会えたような喜びがあってそれはそれでいいんですけどね(苦笑)
興福寺アクセス
JR奈良駅から徒歩18分
JR奈良駅 ⇨「県庁東」バス停下車 徒歩3分
近鉄奈良駅から徒歩3分
おまけ
この二冊の本と、維摩居士坐像をみて生きづらさが楽になったかと問われると「?」です。
《生きづらさを生きづらいと感じているのは自分自身ではないか?》という、自分で自分の首を絞めていたのかと思えました。
もう一度、いや何度でも読み返したい本になりました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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