歳を取っても元気でいたい、元気でいて欲しい、しかしそうも問屋が卸してくれません。
年老いた母親(84)が「とうとう」という話です。
嫌な予感
仕事でのお昼休憩をしようとしていたらLINEの着信音が鳴りました。
急いで確認すると兄から。滅多来ない兄からのLINEに嫌な予感がしました。
読んでみると、
「母さんがアルツハイマー型認知症と診断されました。」
アルツハイマー型認知症は、認知症の中で最も多く、脳神経が変性して脳の一部が萎縮していく過程でおきる認知症です。初期は、加齢による単なる物忘れに見えることが多いでしょう。しかし、仕事や家事など普段やってきたことでミスが増える、お金の勘定ができなくなる、慣れた道で迷う、話が通じなくなる、憂うつ・不安になる、気力がなくなる、現実には見えないものが見える、妄想があるなどのサインが出てきたときには、専門機関に相談してみましょう。
厚生労働省HPより
最後に会ったのは今から2年前。
コロナ禍で実家から遠く離れた関西に住んでいるため、帰省できないまま現在に至ります。
コロナが流行する前からあまり行き来がなかったので晩年の母とは、あまり会話がないままです。

ちょっと嫌いなところ
というのも、母はお金にルーズな人。
私が働き出した若い時から、「○万、貸して」と頻繁にいう人でそのくらいだったらと貸します。返して欲しいと「次の年金支給日には返すから」と少しは返すものの、また返し切らないうちに「○万貸して」と一歩進んで二歩下がるようにお金を貸してました。そのルーズさと返そうとしない不誠実さが次第にイヤになっていました。
最後のお金の貸し借りは孫(私から見たら姪)の結婚披露宴の前。
ちょっと多めの8万貸してくれとせがむ連絡があり、当時離婚して精神的にも金銭的にも困っていた時期。
自分の都合しか考えない、20年にも渡るお金をせがむ母に対して、反抗したことがなかった私が40歳過ぎて初めての抵抗。

そんなお金ない!
離婚して生活が大変なのはこっちの方だから!

あんた離婚したくて、したんでしょ!
この問題は叔母に間に入ってもらい解決しましたが、それ以来なんとなく避けてしまい会話も自然と少なくなっていました。
元気だけが取り柄だったのに
そんな母は、今まで病気もケガもしたことがない病院とはほど遠い人。
その点はすごく尊敬してました。私は母の歳までは生きていられるかな?多分無理かな?と。
それは80過ぎまで自転車に乗って出歩き、年に数回は温泉へ湯治に行く元気さを持っていたからで、それが生きがいのようでした。
父が亡くなってお葬式だのと大変な時期に、「スーパーに連れて行って」という母と一緒に車で出掛けたら、マグロのお寿司を一人前買い、車の中でひとりぺろりと平らげたのを見たときは、「この人は絶対長生きするわ(苦笑)」と確信し、100歳まで元気でいるんじゃないかと思っていましたが、その母も歳には敵わなかったのでしょう。
とうとう来てしまったようです。
これから先、どうなるのか想像もつきません。遠くに離れて何もできない私。頼れるのは兄夫婦。
ルーズな母の事、蓄えなんてないはず。そんなことを思いながら、コロナの波が引く頃に帰ろうと思います。兄に差し入れでも買って、そして母に何か欲しいものがあったら買ってあげよう。
私が覚えている母ではないかもしれないけれど。会いに行きたいけれど恐いような複雑な心境です。

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