長慶天皇嵯峨東陵と安倍晴明墓所

京都巡り
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京都観光で有名な嵐山。名所がたくさんあり行く場所を選ぶのに迷うところばかり。

そんな中、住宅街にある歴史がちょっとした名所があります。

長慶天皇陵と安倍晴明のお墓です。

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長慶天皇嵯峨東陵

長慶天皇嵯峨東陵へ向かうことにします。

JR利用の方は嵯峨嵐山駅で下車し、南口に出て、嵐電の線路を渡ります

嵐電利用の方嵐電嵯峨駅下車し南(住宅街)へ向かいます。

すると

この写真は(桂川方面)から見た場合です。
JR・嵐電側から 白い看板が目印
長慶天皇嵯峨東陵 参道

住宅街の中、ここだけが異様な空間の道があり一見入りにくそうに感じます。

奥に歩いていくと。

宮内庁の看板がありました。

ここに眠っているのは長慶ちょうけい天皇、第98代天皇(南北朝時代)

1343年生まれ、1394年没年。

在位期間は1368~83(15年間)

ここが長慶天皇の墓所とされていますが、実は埋葬地が不明であるため、長慶天皇が晩年過ごし亡くなられた後に供養所となった天龍寺塔頭・慶寿院の跡地陵墓として定められたもので、全国に各地に陵墓が点在されています。

長慶天皇

長慶天皇が眠られているとされる横(奥)にはもう一つのお墓がありました。

承朝王墓

こちらは、 承朝じょうちょう王墓

長慶天皇の皇子(子)で1374年~1443年  南北朝時代から室町時代の僧。

天皇のお墓は陵と呼ばれますが、天皇ではないという事で王墓となっているのでしょうか?

天皇家の菊の御紋もありません。

手水舎

安倍晴明墓所へ

京都市上京区にある安倍晴明の神社・晴明神社がありますが、ここはその安倍晴明のお墓とされています。 

「あるとされている」と記載するのは理由があり

安倍晴明のチカラを恐れたため、本当のお墓がどこにあるのか分からないようにするために、安倍晴明お墓(晴明塚)は複数あるとされています。

先ほどの長慶天皇嵯峨東陵から通りに出て右(桂川・渡月橋方面)へ向かいます。

また右へ曲がります。(車が一台通れる程の幅です)

突き当たりを右へ曲がります
鳥居(角倉稲荷神社)の奥に安倍晴明墓所があります。

角倉すみのくら稲荷神社を横に歩くと、安倍晴明墓所です。

安倍晴明墓所
石碑
墓石

安倍晴明の命日は1005年9月26日(享年84歳)

晴明神社のHPにも記載されていますが、晴明神社が管理しており毎年命日には嵯峨墓所祭を執り行っており供養されています。安倍晴明HP 外部リンク

ここ以外に京都にも晴明塚はあったようですが、この場所以外には残されていないとか。

貴重な場所です。

2015年には羽生結弦さんもこの地を訪れています。

桜・紅葉の時期は特に賑わう嵐山ですが、少し離れると地元の人しか通らないような静かな名所です。

京都観光で嵐山をお越しの際には、ぜひ訪れてください。

ちなみに安倍晴明墓所に隣接している角倉稲荷神社は、安倍晴明とは関係がなく、安土桃山時代から江戸初期の豪商で、角倉一族が建てた稲荷神社です。(プライベート神社といったところでしょうか。) ご利益は、商売繁盛・五穀豊穣。

この辺一帯は、特に歴史がぎっしり詰まっており

決して映える場所ではありませんが、名所を独り占めできる嵐山の隠れた名所です。

アクセス

長慶天皇嵯峨東陵

住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町6−14

JR嵯峨嵐山駅から徒歩5分

嵐電嵯峨駅から徒歩2分

安倍晴明墓所

住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町12

JR嵯峨嵐山駅 徒歩6分

嵐電嵯峨駅 徒歩3分

市バス・京都バス 嵐山 バス停下車 徒歩4分

この記事を書いた人
ハルジオン

   京都在住
   愛機・Nikon Z6ⅱ
  
「体は食べたもので作られる」「体が整えば気持ちも整う」
長年体調不良で悩まされ、食事を変えたら元気になりつつあります。
その経験から、本物の調味料の紹介や元気になって最近趣味として始めたカメラを主にしたことを発信しています。

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